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若い時は無名、その後這い上がって有名となったスポーツ選手、芸能人など。

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今日本や世界で活躍しているスポーツ選手やタレントさんは

誰しもが若いころから成績優秀で名前が通っていたわけではありません。

若い時は全くの無名だった方がその後大きな結果を出す方が多数いらっしゃいます。

 

今回は「若い時無名、その後結果を出した」方を紹介したいと思います。

 

この方たちの経歴を見て、結果が出ずに悩んでる方や

これから夢に向かってチャレンジしたい方へ刺激となり

モチベーションの向上や安定につながればと思います。

 

1.長友佑都

 

 

最初に紹介するのは日本を代表するプロサッカー選手、

長友佑都さんです。

 

長友さんは現在イタリア・セリエAのインテルナツィオナーレに所属されており、

海外で活躍されています。

最近だと平愛梨さんとご結婚をされました。

少し前に結婚会見などをされたので話題りました。

ご存知の方も多いかと思います。

 

こんな海外で活躍している長友さんですが、実は高校時代は無名でした。

経歴

 

高校はサッカー強豪校として有名な東福岡高校の出身。

東福岡高校でサッカー部のレギュラーとして定着するも、

地区選抜などにも選ばれず無名のまま高校生活が終わります。

また、大学のスポーツ推薦にも落ちてしまいます。

 

高校卒業後の2005年からは明治大学に指定校推薦にて入学しサッカー部に入部するも

一年目は怪我に悩まされて試合に出場できず、スタンドで太鼓担当として応援する日々。

周りの応援や激励などもあり、2006年夏ごろから復帰して試合に出場しだす。

 

体幹筋を鍛えたこともあり復帰して数試合で監督が「別格」と評するプレーを見せ、

一気に頭角を現す。

 

この頃から全日本大学選抜などに選出され、2007年3月に行われたFC東京との練習試合で、

当時のFC東京監督をはじめチーム関係者の目をひき、5月よりFC東京の練習に参加。

2008年大学在学中にFC東京とプロ契約を結ぶ。

 

2008年3月のリーグ開幕戦より先発出場し、5月には初得点、更には同じく5月に

日本代表に召集されて、5月24日の『キリンカップ』コートジボワール戦で初出場、

11月には日本代表初得点を果たします。

これ以降、日本代表にも度々選出されます。

 

その後はFC東京でレギュラーとして試合に出場し続け、ヤマザキナビスコカップ優勝を経験。

自身もJリーグベストイレブン選出される。

 

その後、セリエAのACチェゼーナを経て、

現在のインテルへ入団。

レギュラーに定着し、2011年度の『世界のディフェンダートップ5』に選ばれるほどの

活躍を果たす。

インテルでの出場試合数200も達成。

 

現在もインテルや日本代表として活躍中です。

 

 

 

いかがでしょうか?

 

長友さんは大学在学中の2006年怪我から復帰し、

その後、約2年で日本代表として出場するまでになりました。

約2年で一気にトップアスリートへ駆け上がったのは本当にすごいと思います。

 

ということは約2年ほどで人生を変えられるということです。

 

先がわからない中、努力し続けるのは大変です。

長友さんの経歴を見て、約二年でこのような結果がでるんだなぁと思いました。

 

 


2.高田純次

 

「適当男」という名称でおなじみの高田純次さん。

 

最近はバラエティ番組をはじめ、「純さんぽ」という自身の番組や、

俳優として西村京太郎サスペンスの「亀井刑事役」で出演されています。

 

高田順次さん、実は遅咲きの芸能人で世間に名前が知れ渡ったのは、

高田純次さんが32歳頃の時です。

 

経歴

 

高田順次さんは24歳頃に俳優を目指します。理由は自由劇場の舞台を見たことから。

 

すぐにこの劇団(自由劇場)に入団するも1年で退団。

その後、結婚し26歳の時に宝石会社に入社しサラリーマン生活に入ります。

 

1977年(当時30歳の時)に居酒屋で、劇団をやっていた頃の仲間、ベンガルと柄本明に再会。

この再会を機に劇団「東京乾電池」に入団。
※東京乾電池という劇団は再会したベンガル、柄本明らが1976年に旗揚げした劇団。

 

サラリーマン生活を捨て再び劇団に入る。

しかし、無名のまま全く売れず。

テレビに出演するまでは家族を養うため、柄本明に紹介してもらった

テレビ局の大道具の仕事などをする。

 

32歳の時にテレビ初出演。出演番組は「笑点」でコントを披露。

 

1980年スタートの『笑っている場合ですよ!』(『笑っていいとも』の前身)に出演、

この番組内コーナー「日刊乾電池ニュース」に出演し一気にブレイク。

その後、バラエティをはじめテレビ番組などに多数出演。

 

現在、還暦を過ぎてもテレビ番組や俳優として出演し活躍中。

 

 

 

高田順次さんがブレイクしたのは32歳の頃と遅咲きです。

 

サラリーマンを辞めてからテレビに出るまでの間は、かなりハードな生活をしていたそうです。

芝居の稽古の終了後、午後7時から明朝6時までアルバイトをして、

その日の稽古に参加するという生活をしていたそうです。

睡眠時間は毎日3時間、疲労も溜まって円形脱毛症を発症したそうです。

 

家賃2万2千円の風呂なしアパート。

お金の節約のために奥さんとお子さんは銭湯に行かせて、自身は台所で体を洗っていたという。

 

当時は家族を養うための仕事、稽古、少ない睡眠時間などが重なって、

かなりのストレスと闘っていたと思われます。

 

 

 

 

「適当男」なんて言われていますが、適当なイメージとは程遠い真面目で責任感の強い方です。

 

「ここまでやるの!?」と周りが思うぐらいの努力が必要なのだと思います。

何か大きな結果を残そうとしたら、周りが驚く、引いてしまうぐらい

やらなきゃいけないのかもしれません。

そんなことを高田順次さんの経歴を見ると考えさせられます。

 

 


 

 

3.蛭子能収

 

 

蛭子能収さんは「路線バスの旅」などに出演されているテレビタレントで、

また漫画家としても活躍されています。

 

最近も度々テレビで見かけるので、ご存知の方も多いかと思います。

 

実は蛭子さんも、かなり遅咲きの方です。

 

 

 

経歴

 

高校卒業後、地元の看板店に就職し4年半勤務する。

1970年に上京し再び看板店に就職する。

1972年に結婚し長女が生まれる。

金銭的に困窮したため、ちり紙交換の職に就く。

1973年8月 『ガロ』8月号にて漫画家デビュー。

しかし、出版元の青林堂も経営難により、原稿料(ギャラ)が支払われず。

1974年に長男が生まれたのを機に有限会社ダスキン練馬でセールスマンとして働く。

この頃、漫画は趣味として割切る。
漫画家としての収入は一度も得ることが出来ず。

 

1979年 自動販売機用の雑誌で漫画家として再デビュー。
漫画家として初めて収入を得る。

初めて漫画家としての収入を手にし、徐々にプロ漫画家としてやり直す希望を持ち始める。

 

1981年にダスキンを退社し漫画家として独立。

「ヘタウマ」という作風で注目を浴びる。

その後、バンドのCDのジャケットを手掛けたりと、

活動の場を広げていく。

1987年『劇団東京乾電池』の公園ポスターを手掛けたことを機に、

『劇団東京乾電池』の舞台に出演する。

 

この舞台を見に来ていたフジテレビのプロデューサーの目に留まり、

「笑っていいとも!」に出演、テレビデビューを果たす。

 

その後は舞台やTVドラマなど活動の場を広げていき、

数多くのバラエティ番組に出演する。

 

現在も映画やドラマ、舞台や漫画家として、多方面で活躍中。

 

 

蛭子さんがTVに出だしたのはなんと40歳の時です。

人生どうなるかわからないです。

 

普段テレビでマイペースなキャラクターで出演されていますが、

経歴を見てみると、真面目で努力家なのだと思います。

 

 

最後に

 

考え方は人それぞれ違います。

結果を出している方の意見や考えは参考にした方が良いかもしれません。

 

その通りにやったからと言って、当然結果が出るわけでもありませんが、

見習った方が良い部分は少しでもあると思います。

 

結果を出している方々から学ぶことは成功するための、数あるヒントの中の1つかもしれません。

何か目標や夢をもって日々頑張っている方は頑張ってください。

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